本文へジャンプ          小吹 隆文                              美術ライター





自分に忠実に生きる人





私が玉本奈々さんと出会ったのは2000年のことだ。場所は、彼女の個展が行われていた大阪の画廊である。玉本さんを知っていたから出かけたのではない。当時私は情報誌の編集部で勤務しており、美術ページの担当をしていた。
仕事柄、毎週画廊や美術館に出かけることを義務付けており、その画廊は毎週必ずチェックする場所だったので、誰が展覧会を行っていようがおかまいなしに作品を見ていたのだ。


彼女の作品を初めて見た時の印象は、決してポジティブなものではなかった。ガーゼなどの布や糸の塊、羊毛、繭(貝殻もあったかもしれない)など、様々なものが貼りつけられた画面は生物のようにデコボコしており、その上から鮮烈な赤、青、緑などの彩色が塗りこめられていた。モチーフは人間の顔や目を連想させ、中には内臓のようなグニョグニョとしたフォルムもあった。どの作品も血が滴るような生々しさ、まがまがしさが感じられ、こちらの神経を逆なでしてくる。その異形ぶりと押し出しの強さに圧倒されて、私の気持ちは後ずさりをしてしまったのだ。正直に言うと、少々野暮ったいとも思ったし、生理的に合わないとさえ思った。


画廊を頻繁にチェックしていると、作家自身の内面をダイレクトにさらけ出した作品と出合うことがある。もちろん、それらの多くは作家が勇気を振り絞って表現しているのであろうが、中には開き直りとしか思えないものもあり、そんな吐しゃ物のような作品を一方的に投げつけられても、こちらは戸惑うばかりなのだ。玉本さんの作品を初めて見た時の私は、それに近い状態だったのかもしれない。



しかし、二度目の展覧会以降、私の中で彼女の作品に対する印象は変わり始めた。それまではカオスとしか思えなかった画面の中に、ある種の秩序や清濁を超えたコズミックな広がりが見えてきたからだ。この人は自分勝手な主張を撒き散らしているのではなく、もっと本質的な何かと直接触れ合っている感
覚を表現しているのではなかろうか。そう思い始めた途端、作品が内包する触覚的な質感に気付くと共に、それまでの先入観が嘘のように溶けて行った。

また、本人と話をする機会が増えるにつれ、彼女自身のユニークな経歴やキャリアの形成にも感心するようになった。



まず経歴について。よく語られることだが、幼少時の玉本さんは極端に視力が悪く、物の輪郭がほとんどない、ぼんやりとした色彩だけの世界で生きてきた。中学生時代に奇跡的に視力が回復すると、世の中が直線で溢れていることに驚き、ひたすら絵を描き続けたという。高校時代は油絵を学ぶために週末ごとに地元の富山から京都に通い、大学は滋賀県の成安造形大学に入学した。卒業後はアパレルメーカーに就職するが、オーバーワークがたたって過労死寸前の状態になり退職。その時に、今後は自分自身の人生を悔いなく生きるため画業に専念しようと決意し、現在に至っている。



次に、美術家としてのキャリアについて。展覧会場を決める時に直感を重視するのが玉本さんの特徴だ。初個展を行った大阪の画廊も、初めて画廊を訪れた際に「ここしかない」と確信して直談判に及んだ。そして、彼女が希望していた日程には既に予約が入っていたにもかかわらず、後日その週の予約がキャンセルになり、個展が実現した。



その後は、富山、福井、東京、愛知の美術館で個展を行い、富山の有形文化財の住宅や世界遺産の合掌造り集落でも個展を行った。これらも周到な計算に基づくのではなく、その時々の自分の気持ちに忠実に行動した結果である。コマーシャル・ギャラリーへの売り込みや公募展の受賞経験を重ねて注目を集めるのとは対極的に、手探りの活動を積み重ね、一つ一つの出会いを大切にすることでゆっくりとステップを踏んできたのだ。



一見遠回りをしているように見えるが、今や彼女は国内外の幾つかのコマーシャル・ギャラリーで個展を行う作家に成長している。「急がば回れ」を地で行くような生き方は、美大生やデビューしたての若手作家にとっても示唆的ではなかろうか。



さて、話題を現在へと移そう。本展では、新作約40点が出品され、現在の玉本さんの世界が概観できる。近年、彼女の作品は以前よりもシンプルになり、明瞭度を増しているように思われる。以前はパネル上に溢れんばかりに貼り付けられていた糸や布などの面積は少なめになり、コラージュ的要素よりも絵画的要素が前に出てきているのだ。それが何を意味するのか、今の私にはまだ分からない。しかし、彼女が新たな段階への模索を始めているのはおそらく間違いないだろう。鑑賞者には、是非その萌芽を感じ取っていただければと思う。



また、展示空間とのマッチングも本展の隠れた見どころである。彼女は今年3月に神戸の画廊で個展を開催したのだが、コンクリート打ち放しで高い天井を持つその空間では、作品の印象が随分違うものになっていた。振り返れば、私が最初に出合った大阪の画廊や富山県の合掌造りの家屋でも作品の印象がその都度異なっており、玉本さんの作品はその個性的な外見とは裏腹に空間との親和性が高いのかもしれない。クラシックな外観を持ち、内部に螺旋階段を有するギャルリー宮脇の展示室には老舗画廊独特の雰囲気が漂っている。モダンアートの歴史が染み込んだ空間と、稀な個性を持つ作品がぶつかり合った時、一体どんな化学反応が起こるのであろうか。私はひそかに楽しみにしている。





美術ライター
小吹 隆文