出版によせて
画家にはそれぞれに視点というものがあり、事物をどのようにとらえ、いかに表現すべきかを試行錯誤する。さらに、何を描き、そこに何を託すかが重要なこととなる。
玉本奈々の場合、その視点は、目に見えるものに焦点を定めるのではなく、自身の心の奥底に潜む何ものかに向けられているように思えてならない。
だからであろうか、その画面からは、ただならぬ気配が伝わってくる。特にその色彩は嫌悪感さえ覚えるほどの力があり、見る者の網膜を刺激する。さらに画面に与えられた形態は、得体の知れない生物が蠢くがごとく不気味だ。醜さと情念が交錯する一種狂気にも似た世界が作品を支配しているのである。
それはまさに、この画家の内側の叫びでもあり、とめどなく湧き上がるエネルギーなのだ。そして画家とは不憫なもので、その感覚をキャンバスに定着しようとするのである。玉本にとって描くということは、生きるということに直結している。自身の身体と精神のバランスを保つために、描き続けなければならないのかもしれない。
さて、このたび玉本はアルファベットを題材とした作品に着手した。AからZまでの26文字をテーマに作品を描き上げたのである。その制作は、たぶん従来のものとはいささか異なるものであったろう。つまり、文字という定められた形態を基本に筆を進めるということは、ひとつの約束、束縛のもとで絵を描くということになる。この画家にとっては最も避けたい制作の手法であったろうが、あえてその世界に挑んだのである。
そして、その作品には新たなる世界が展開されたのであった。たとえば制御された感覚。色彩は穏やかになり、淡く爽やかな中間色が快い。さらに形態は理知的で構築的な様相を示すようになった。興味深い一例を挙げるならば、Dという文字には、「半月」。Oには「車輪」、Uには「磁石」という副題が与えられている。文字の型から連想した、この画家ならではのセンスであろう。
さらに作品には、詩が添えられているのである。文字からのイメージと、内面から表出した言葉が綴られているのだ。それは詩画集となり、玉本奈々の新たなる一歩を示すとともに、これまでの集大成とでも言うべき作品となった。多くの人々にこの作品集を手にして貰いたいと願っている。
京都国立近代美術館長
柳原 正樹
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