本文へジャンプ        石堂 裕昭                      福井市美術館 学芸員




玉本奈々−挑戦し続ける作家−




玉本奈々の作品は、まず何の知識も持たずにじっくりと対峙して観ていただきたいその上で玉本についての文章や玉本自身と話していただくことを私はお薦めする。


私が初めて玉本の作品と出会ったのは、昨年3月に当館で開催された個展の時である。富山出身で大阪に住む彼女がなぜ福井で展覧会をしようと思い立ったのかは、彼女と話をすることで解決された。実に単純ではあるが「どの地域に住む人々にも観てもらいたい。」ということであった。ただ、この言葉をなにげなく聞き流してはいけない。作家として非常に重要なことである。自ら創造した作品は自分の肥やしとなるが、他人にとってはただの無意味なものとして存在することもあるし、それが物凄い価値あるものとして存在することもある。


人はどの地域に住んでいても共感できるものなどは基本的に同じであると思う。ただほんの少しの環境や文化の違いによって培われてきたものが異なり感じることに麻痺してしまっている場合はある。誰も知らない土地での展覧会への挑戦は、作家として時に厳しい試練となり観覧者の多少がその評価につながるような錯覚に陥りがちだが、例えたった一人でも共感できる人がいるのなら、その挑戦には大きな意味があったと言えるだろう。その意味においても地域を越えて他人に観せることは作家として重要であると考える。



さて、玉本は各地で挑戦するとともにその創作活動においても同様に挑戦し続け、常に自身と呼応するかのような作品を作り続けている作家である。 油絵具やアクリル絵具に留まらず布やガーゼなど限りなく自分自身が表現するために必要な素材は新たに取り入れながらその幅を広げていくのである。時にそれはくどさを伴う危険性もあるが、玉本自身は感覚的に押さえるツボのようなものを心得ているのか、無駄をつくらないギリギリの所で勝負しているかのようである。そして一際目をひく色彩の感覚世界に圧倒され、確かな画面構成の中に我々観る者は引きずり込まれていくのである。



玉本は深く自身を見つめ続け、その結果としてそれを作品化している。創造する行為は確かにそこに存在するのだが、素直に自分をさらけ出しながら作品化しているところに私は敬服する。そして玉本の作り出す不思議なくらいに鮮明に映る「赤」が私を限りなく魅了し、危ない領域にでも踏みこむように誘うのである。  



”玉本奈々”という人間性そのままが作品としてそこに存在し、そこから受けるあらゆるものが彼女の魂そのものであり、彼女の情熱であり、そして彼女の奥深い心の中の世界なのである。



命の尊さを知り生きることへの感謝を忘れずこれからも挑戦し続けるであろう玉本の活躍を祈るとともに、 一人でも多くの人たちが玉本の世界に共感し、自身を見つめ直す一助として感じてもらえることを願う。





福井市美術館 学芸員
石堂 裕昭