玉本奈々 ひらめきの画家−描くことの至福
玉本奈々はいまだにカンバスや紙、布切れ、毛糸、そしてあらゆるエッセンスを備えた絵の具の積み重なるアトリエの真ん中で大きくなった子供のような率直さと直感とで描いている。正に感覚の画家である。
その芸術からは構図に心を配るアーティストの姿が見えてくる。強烈な構成と様々な素材とが彼女の広大な想像力に大いに寄与している。彼女の作品は、一般的に抽象作品がそうである以上に色彩豊かな素材に育まれ、生き生きとしている。
玉本奈々の創意に富んだあらゆる色彩は、ダイナミックな驚くほどの同等の情熱を生み出す。アーティストは本質を理解したのだ。つまりある形が美的価値を持つために必要なのは、その形が私たちに美と崇高さへの感動を引き起こすことではなく、形が直感的意識の主要ななんらかの狙いを満たすものでなければならないということだ。
玉本奈々は伝統的な美術界とは無縁であり、明らかに「生の芸術」に接近している。彼女は素材の変容に身を呈し、懸命に追い求める。人物のそれぞれの姿は強調され、用いられた色彩は喜びあふれる。私たちは真に、自律の極に達した作品、最も激しく最も魅惑的な「現代性」に達した作品を目の当たりにしているのである。
玉本奈々の作品は感覚的で、彼女は内なる純粋な感動に身を任せ、女性の素晴らしさに心をとめる。女性は彼女にインスピレーションを与え、布や糸、そして深い色彩で絶妙な調和を示唆し、その調和は抽象の限界まで達していることを示している。体と顔の完璧なまでの神秘は「母像」や「覗き」のような神秘主義的行程への長い探究を生み出して行く。こうした作品は感動的とも言える強烈さを生じさせる。一種の内的成就、そして静謐さに満たされるのである。
玉本奈々は「私欲」や「四面楚歌」のように、霊感のおもむくままに構成し、様式化された、あるいは生き生きとした調和、素材の質感や装飾的連鎖を追求する。この芸術を通してアーティストは私たちに、画家の想像力は単に色彩表現や線の特徴に及ぶだけでなく、何よりもまず想像世界のための枠組みを作りだす構造としての想像力であることを想い起こさせる。それぞれの絵はまず形の配置であり、巧みになされたすべてのコラージュを読み解かねばならない鑑賞者の根差しに対する迷宮である。それは、線、形、色が織りなす一種の定理である。
このすばらしいアーティストは稀なる技法を通し、ひたむきに自己表現する。詩情溢れる庭園と途方もない夢を創造するため、布が毛糸や紗と遊ぶ長く根気ある仕事である。ずっと見ていると、手で触れることのできるこれら貴重な宝物の中に、意表をつく驚くべき浅レリーフが浮かんでくる。玉本奈々は様々なアサンブラージュによって、収集家に心に訴えかける思いと対象との間の恵まれた関係を広げることに成功している。時折彼女は自然の流れのままに任せ、あるいはまた赤レリーフを際立たせる。細い筋、引き裂かれた線、傷、裂け目、ふくらみが、未知なる世界の多くの語られなかった言葉のように画布を飾りたてるのである。
しかしこのアーティストの偉大な魔力は、言葉の最も強い意味において、その精彩あふれる人物画にある。それは強い存在感を示し、鑑賞者は暴力ではなく反対に一種の明白さでもって引き起こされる対話の相手となるのである。芸術の最も深い源と再び結ばれる人間性ある肖像。あらゆる世界、あらゆる時代に共通の芸術である。
決して十分に伝えることはできないであろう玉本奈々の彫刻絵画の量感、その色彩はあまりにも高い密度に掲げられてこの二者の関係が私たちに強く訴え、最高潮へと達している。色彩は単に彼女が埋める表面を飾るだけでなく、それ自体が彫刻された像を構成しているのである。またユーモアもある。何事もロ嘲笑することのないユーモア、喜び、そして永遠の青春に飽くことなく出会う驚きからくるユーモアである。
女性の体は、まるでアーティストが創造の結果よりも表現の動きを表そうとしているかのように、彫刻されるが如く作りだされる。彼女は職人の「こつ」で芸術の真実に至ろうと務め、このようにしてすべてが考えだされ、再び始められる貴重な時を見いだすのである。その作品群は広々とした劇場における近代的イコンを思い起こさせる。
魅惑的なアーティストである。彼女の作品は私たちの心を奪い、幸福へと導く。そして旅へといざない、生きる喜びへと誘う。見出されるべきすばらしい作品、そして成功、褒章、栄誉に値する作品である。関心を持って注意深く見守るべきだろう。
国立フランス文化連盟創立 会長
美術評論家
近代美術専門家
文化ジャーナリスト
Dominique CHAPELLE
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