八巻 千尋                               株)染織と生活社 編集部




            

人間の内と外を見つめて <玉本奈々さんのテキスタイルアート>





日々の生活で出会うさまざまなこと。
存在を感じていても過ぎ去っていくもの。
なくさないように、忘れないように、しっかりと目をこらす。





−当たり前のことを見つめ直す




 こちらを見つめる顔、ひたと見据えた目、有機的な質感。複雑に混ざり合う色合いが特徴的な玉本奈々さんの作品は、見る者に忘れがたい印象を残す。



 富山県に生まれ育った玉本さんは幼い頃、「輪郭のあいまいな世界で、色だけに頼って生きていた」と言っても過言ではないほど、視力が弱かったという。だが、物心ついた時からそういう世界しか知らなかったため、それを不都合とも思わず日々を暮らしていた。中学生になると、視力は劇的に回復した。今まで当たり前だと思っていた世界ががらりと変わった時の衝撃は大きかった。その時のことを玉本さんはこう記憶している。「それまでぼやけた世界で生きていたから、世の中には人工的な直線のものがなんて多いんだろうとびっくりして、しばらくは気持ち悪かったです。あまりにも驚いたから、しばらくはまっすぐな建物の絵ばかり描いていました。」
玉本さんの作品を貫く「当たり前のことをしっかりと見つめて受け止める」という姿勢は、それまでの価値観が逆転したこの時から生まれたのかもしれない。「くっきりと見える世界」を手に入れ、今まで見ていた物事を再確認するかのように、夢中で絵を描いた。玉本さんはそこから絵の道に入っていくようになる。



 高校に入学後は美術部に所属し、京都まで熱心に油絵を習いに通った。そのうちに油絵だけでは表現したものを表しきれないと感じ、テキスタイルなど異素材を組み合わせる手法へと変化していった。



 就職して働き始めると、連日の激務と制作の両立に体が悲鳴を上げ始めた。それでも体からの警告を無視し続けた結果、限界を超えてある日突然倒れてしまった。病院に担ぎ込まれ、一刻を争うような状態になった時、意外なほど冷静な自分がいたという。「きっとこのまま自分は死ぬんだ。」 そう諦めて事態を受け入れようとした時に、玉本さんを思い留まらせるものがあった。



 「母親が泣いていたんです。」会社を経営し、何事もテキパキとこなす母親を、しっかりした強い人と誰よりも尊敬していた玉本さん。「その強い人が、今、私を見て泣いている。この人を泣かせてはいけない、死んでは駄目だ」という強い一念が、玉本さんを病の淵から引き戻した。病に倒れた経験は、それまで意識していなかった自身の健康や家族の大切さを痛感するきっかけとなった。自分が幸せでないと、大好きな家族も幸せではない。作りたい気持ちがあっても、体を悪くすれば制作を続けることもできない。何が自分にとって大切なものかを考え、それからは仕事を辞めて制作に専念するようになった。無理せず自分の体と相談しながら制作するようになったこの頃から、本当に楽しみながら作品作りができるようになったという。





−内なるものに耳を傾けて




 玉本さんがそれまでの人生で見聞きして累積されたものが結晶になるかのように、作品は色も形も大きさもタイトルまでも、何かに導かれるように頭の中に決まった形としてイメージされるという。 その自分から出てくるものに耳を傾けて、姿無きものを形にしていく。


 「義務感や使命ではないけれど、作品に半強制的に作らされている感じかもしれません」との言葉通り、時には自分で制御が効かなくなるほど制作にのめり込むこともあるそうだ。
重層的な質感の作品は、近付いてみると、ガーゼや羊毛、糸などが敷き詰められたり、詰め込まれたりしており、でこぼこと起伏に富んでいる。布目の質感と濃厚な色彩が織り成す世界は、私たちの住む日常を表しながら、どこか異世界を垣間見ているかのような感覚を与える。視力が弱かった頃、輪郭やディティールよりも色を頼りにしていたためか、特に色に対する思い入れは殊の外強い。しっくりくる色が見つからない時は、作品と向かい合って「どんな色になりたいのか」とひたすら問いかけ続ける。これだという色を見つけ出した時は、目の前が一気に開けるような感覚だという。



 独特の雰囲気を持つ作品は敬遠されることも少なくないが、熱烈なファンもまた多い。静かな銀色の中にたたずむ赤が印象的な 『永眠』 という作品がある。祖母が亡くなった時、火葬されて消滅する肉体を残してあげたいという気持ちから制作した作品だ。その時は、悲しみではなく穏やかなあたたかい気持ちに満たされていたそうだ。展覧会で『永眠』を見たある来場者は「私はこんなにもきれいになくなることができるだろうか」と涙したという。


 「同じ作品でも、展示会場が変わる度に表情が変わる。今度はどんな表情が見られるのか楽しみ」と各地の展覧会を熱心に訪ねる人、「俺と一緒だな」と作品の情景と自分とを重ね合わせる人など、さまざまな人が作品から自分へのメッセージを見つけ出す。



 また、作品を所蔵する人は、居間に飾ったりするのではなく、秘密の宝物のように大事にしまい込んだり、自分だけしか見られないように寝室に飾ったりする人が多いという。まるで作品と自分だけの対話を楽しんでいるかのようだ。 このことについて玉本さんは 「大事にしてもらえるのは作品冥利に尽きますが、作家としては作品が大勢の方の目に触れる所に置いてもらえることも、また嬉しいことなんですけどね」と冗談交じりに笑う。





−向き合う事の大切さ




 世の中には美しいものがたくさんあるが、汚いもの、目をそらしたくなるものもたくさんある。「あからさまでなくとも、ぼかしてはいけないと思うんです。」認めたくないがために気付かないふりをしていたもの、あまりにも些細で見逃していたこと、玉本さんはそういったもの一つ一つを丹念に見つめて作品にする。どの作品にも共通しているのは、人間への真摯なまなざしだ。感情、肉体、生きる事の素晴しさと醜さ、死。全てを含めて、玉本さんは人間が一番面白いと語る。


 『証』はなくしたらいけないもの、『カイコ』は命をかけて吐き出したものが、美しいものとして尊ばれること。作品に込められたメッセージを自分に当てはめてみると、何か思い当たるものがあるのではないだろうか。



 「今後作る作品は、タイトルも内容ももう決まっているんです」と玉本さんは語ってくれた。次は私たちにどのようなことを気付かせてくれるのか。早く形になりたいと願うイメージたちにせがまれて、玉本さんは制作を続ける。





株)染織と生活社 編集部
八巻 千尋